DOCTOR
喜地 直美

Dr.Naomiの生い立ち&考えてきたこと

DOCTOR 喜地 直美

私は大阪で生まれ、広告業を営む、歯科とは全く無縁の家庭で育ちました。ありがたいことに虫歯も無かったため、歯科医院に行くこともほとんどなく、あの「キーン」という音に恐れることなく過ごしてきました。

「そんな私が、なぜ歯医者に??」

ただ単純に理系の分野しか勉強せず、その中で化学が好きだった(というか化学しかできなかった)ことから薬学部を目指す中、医学部生だった家庭教師が「医学部は現役だとちょっと無理だけど、せっかくだから薬学だけじゃなく歯学部も受けてみれば」と受験間近に勧められたことがこの世界に足を踏み入れたきっかけでした。

そして何故か埼玉の大学に進んでしまい、田舎で何もすること無くボーッと過ごした学生時代、口腔外科の臨床実習でようやく基礎分野の生理学と生化学のおもしろさに気付き、咬合学と顎関節(あの時代はナソロジーの全盛でした)、そして矯正歯科学に興味が湧き、ようやく本気で勉強し始めたのが、6年の臨床実習後半にさしかかった8月でした。

紅葉イメージ

秋になり、自分は何がしたいのか、卒後は口外か補綴か矯正か、どの分野を専門にすべきかを迷いに迷い、最終的には矯正歯科学の認定医を目指すことにしました。

当時は、日本矯正歯科学会のみしか矯正歯科の学会はなく、日本舌側矯正歯科学会や日本成人矯正学会はまだ発足していませんでした。日本矯正歯科学会の認定医取得には、最低でも5年間の大学医局での研鑽と臨床、研究論文発表などをクリアしたうえで審査試験を受ける必要があり、どこの大学の医局に入局するかをまず決めなければなりませんでした。

大学の6年間を卒業し、国家試験に合格したら歯科医師になれるものと考えていた一般家庭の両親に、さらに5年以上のフォローを経済的な部分も含め説得し、なんとか許しを得て母校の医局に入局しました。

紙飛行機を投げる様子

20数年前の矯正歯科界は、各大学によってテクニックの派閥があり、スタンダードエッジワイズメカニクスの医局、ライトワイヤーテクニックの医局、バイオプログレッシブフィロソフィの医局、MEAWテクニックの医局等、あるひとつのメカニクス・フィロソフィでしか治療できない大学が多い中、我教授は「テクニックより診査・診断・治療計画が重要」という「教授診断を通らなければ何もさせないけど、理論が通れば種々のメカニクスを駆使しろ」という考えで、私達医局員を鍛え上げてくださいました。

確かに、どの病気・どんな治療においても、日々、診査・診断し、即時に治療計画をたて処置に移らなければいけません。「虫歯が痛い」、「頬が腫れた」、「関節がひっかかって動かない」など矯正治療中にも様々な病気が併発します。これらについても診査・診断できなければ歯科医師とは言えません(このことをこっぴどく教えてくれたのは、3年先輩であり同期入局の主人ですが)。そこで、週5日は大学病院、残りの2日は一般歯科医院でお手伝いさせていただき、虫歯から入れ歯まで様々な歯科治療に携わりました。

1歳児で虫歯を作ってしまった小さな患者様から、上顎洞がんを患い特殊な入れ歯を作らないといけない高齢患者様まで、いろいろな症状を持つ患者様に接し、「歯並び・かみ合わせの悪い方に出来る歯科治療に限りがあること」、「そのような状況では、100点満点の治療が難しいこと」を感じ、「矯正治療の重要性」と、「矯正治療の診断の際、どのような状況であれば5年後・10年後においても健全歯を多く残すことができるのか」という事を、より深く知ること、考えることが出来ました。

女性の口元

この頃は、抜歯ありきのスタンダードエッジワイズから、臼歯遠心移動や側方拡大などを積極的に取り入れる非抜歯矯正の波が押し寄せている時代でした。また、裏側矯正もささやかれ始めていた頃で、当時まだ矯正医の誰もが避けていた舌側矯正の第一人者の先生や海外スピーカーの先生らの講習会などに参加し、舌側矯正も含め矯正全般の知識と経験を積み上げてきました。

矯正治療のご相談でいらっしゃる患者様から「裏側矯正は時間が倍かかりますよね」「私の歯並びは、裏側矯正は無理と言われました」などよく伺いますが、ほぼ全ての患者様に裏側矯正をご提案することは可能と考えており、表側矯正と治療期間も治療ゴールも同様にすることを目指せます。

筆記イメージ

学問でも、スポーツでも、どの分野も同じですが、矯正治療や歯科治療もまた日進月歩で、どんどん病態に対する概念も変化しますし、治療方法、治療技術、材料なども変わります。また知識を積めば積むほど、深い理解と新たな疑問が生じます。矯正で歯を動かすには、歯周組織の解剖と生理、矯正のメカニクスとそれに対する歯周組織の生化学応答を理解しなければいけませんし、咬合を構築するためには顎関節の解剖と機能を理解しなければいけません。また顎骨の形に問題がある場合、矯正でかみ合わせは治せても、顔のゆがみは改善できません。

このような、ないないづくしを解消するため、矯正だけでなく、色々な方面で活躍する海外スピーカーの講習会やあちらこちらの学会に顔を出し、知識と経験を積み上げてきました。(もちろん、休みの日には下手の横好きのスキー三昧(一般スキーヤーの最高峰を目指してます)で、一年中、仕事か、学会か、雪上かで、家にいることはまずありません。)

スマイルコンセプト

平成12年、「ステキなスマイルをクリエイト」「患者様もスタッフも、皆がスマイルなクリニック」をコンセプトに、パートナーである主人と共に、横浜市都筑区にクリニックを立ち上げました。
当時、大学病院にも有るか無いかの顎関節運動測定器や咬合力測定器を導入し、子供から大人まで全ての患者様に顎運動と咬合接触部位ならび咬合力を計測させていただき、顎関節の運動と歯冠形態、オクル―ジョン、顎関節と顎骨の変形などについて研究してきました。

また常々、患者様にとってのデメリットである矯正治療の痛みや違和感、治療期間の減少などに効果的な方法を探ってきたとともに、現在もなお進行形です。そのため、一見、矯正治療とは別分野であると思われがちなインプラントや歯周外科、歯内療法、審美補綴、レーザー治療、形成・美容外科などについても研鑽を積んできました。

南カリフォルニア大学のマルチ・ディシプリナリー・プログラム(生後18か月だった娘を日本に置き去りにして、、、ごめんね。)やニューヨーク大学のポストグラデュエートコース、青島大学での頭頸部解剖、ルーマニア大学での骨再生ハンズオンコースなどを受講し、先天性欠如歯、虫歯で欠損した歯、歯周病で欠損した歯などに対し、矯正治療だけでなく総合的な診断・治療に自信を持てるようになりました。

TAD(矯正用インプラントアンカー)イメージ

TAD(矯正用アンカースクリュー)については、現在でこそ、治療に導入されている医院も多くなりましたが、2000年以前は、東北大学で少し研究されている程度で、国内の矯正開業医院でTADを導入している医院はで2~3医院でした。TADの知識も機材も国内で手に入れることが出来なかったため、海外に出向いて学び始めました。また材料は個人輸入しながら調達していました。当時、日本で受講することが出来ないTAD先駆者の延世大学PARK教授のコースにも当院の歯科医師全員で受講し、矯正歯科治療に導入してきました。

女性の施術中イメージ

歯科医師として20数年経過し、自身も否応なく加齢を感じる年頃である現在の興味は、身体と口腔周囲のアンチエイジングです。全身の身体管理はもとより、ボトックスやヒアルロン酸などの注入療法については8年前より形成外科の先生に師事しておりますが、生体にとってアレルギーを引き起こす物質(亜鉛、ニッケル等重合金)を体内から除去するキレート療法等については、2016年現在、未だゲートに立ったところでまだまだ研鑽が必要です。より深く知識を積み上げ、患者様に提供できるようにしたいと思っております。

私たちは常日頃、勤務してくれているスタッフに「真剣に遊び、真剣に学べ」「知識を積み上げれば臨床につながり、患者様も自分もハッピー」ということを申しておりますが、自分のお給料の中から、いろいろな講習会に参加している各スタッフ、UCLAのコースに参加する歯科衛生士、歯科医師対象の講習会に参加する歯科技工士、ラスベガスで開催された国際審美歯科学会についてきてくれた歯科医師など、自己研鑽の意識が高いスタッフが多くいてくれて嬉しく思います。

親子のイラスト

2016年現在、当院は開業から16年が経過し、これまで8000名超の患者様に治療をお受けいただきました。その間中にはお叱りをいただくこともありました。そのお叱りのおかげで更に成長出来た部分もあります。診療中に台風(忘れもしない23号)により、横浜駅一帯が冠水し、診療中に1Fだったクリニックがあっという間に浸水、1週間診療不能に陥ったこともありました。11歳だった患者様がパイロットになり「○○さんの笑顔が素敵で、どこで矯正したのか教えてもらったんです」と同僚が来院してくださったり、7歳だった患者様が「先生に憧れて歯学部に入りました」と報告に来てくれたり、8歳だった患者様が歯科衛生士として当院のスタッフとして戻ってきてくれたりと、しみじみすることも経験させていただきました。

まだまだ改善すべき点は沢山ありますが、スマイルコンセプトで治療を受けて下さる患者様が笑顔で気持ちよく治療を受けていただけるよう、健康な口腔内環境とステキな笑顔を得ていただけるよう、スタッフ一同、研鑽を積みあげたいと思っております。

健康な口腔内環境とステキな笑顔のためにスタッフ一同研鑽たします!